
「マスター、マスター。起きろ。風邪を引くぞ」
「ん……あれ、寝ちゃってたか。ありがとう」
目元を擦って、体を起こす。呆れた顔で私を見下ろしていた巌窟王は、隠そうともせずはあ、と大きなため息を吐いた。
「不用心にも程がある」
「ここには私を害そうなんて人はいないよ。それに、ある意味マイルームよりも安全だ」
「……一理ある、か」
一応私の自室であるマイルームには、それなりのセキュリティが施されているらしいけれど。そこはそれ、英霊相手にはなんでもない、と言わんばかりに皆勝手に入ってきてしまう。普段は別に構わないのだけれど、夜ふと目を覚ますと背後に、なんていうのはちょっとしたホラーだ。相手が相手なだけになんと言えばいいのか、言ったところで通じるのか。最近では諦めつつある。
「……、それは?」
「ん? ああ……新宿にレイシフトしたとき、パーティーに潜入してね。別に、ただ敵を待っていればそれで良かったんだけど」
どういうわけか、私たちもダンスをすることになった。というか、手を引かれて踊らざるを得なかった。さすがはアーサー王、ステップもリードも完璧で。帰り際に相手をさせてくれたジャンヌも、次までに練習すると言っていた。
これまであまり気にしてはいなかったけれど、英霊たちは皆そうして召喚されるに相応しい人たちであって、なかなか高貴な出自の人たちも多い。彼らを前にするに当たっては、私は聊か基本的なマナーや知識が欠けている。使役する立場であるとはいえ、同時に力を貸してもらっている身でもある。最低限、経験したことくらいはきちんとモノにしておくべきだろう。
「要するに、ダンスくらいできないとこの先恥ずかしいかも、っていうだけなんだけど」
「ふん……、殊勝な心掛けだな。だが、書物ばかりを相手にしていてもなにも身に付かんだろう」
「それはそうなんだけど……誰かに相手を頼んだりしたら、それこそ戦争になるかな、なんて」
新宿で、ジャンヌがアルトリアに対抗したように。踊りたかったから踊るのだと言ってくれたし、皆が皆ダンスに興味があるわけではないと思う。それでも、誰か一人に頼むというのは余計な争いを招きそうで気が進まなかったのだ。
「まあ、間違ってはいないだろうな」
「自惚れかな、とも思ったけどね」
「人であろうが英霊であろうが、嫉妬という感情は等しく抱く。ただでさえマスターを共有している状態だ。ダンスだろうとなんだろうと、皆マスターに選ばれるのは己でありたいと考えるだろう」
「そういうもの?」
「そうだ。だが……、英霊が他の英霊ではなく、己のマスターを選ぶのは自然なことだ」
「……ん?」
「来い」
本を取り上げられて、思わず手を伸ばせばその手は巌窟王に掴まれてしまって。引かれるままに後をついていけば、なぜかシミュレーションルームに連れ込まれる。なんとなく先が読めて、嫌な予感がした。
「ちょっと、なにをする気だ」
「踊りたいから踊る。彼の魔女の言葉は概ね正しい。それもダンスの意義の一つだ」
「じゃあ、他にも」
「元より、ダンスというのはある種の手段だ。主になにかしらの表現方法としてな。その対象を挙げるにはあまりに数が多いが、ともあれ」
シミュレーションは、基本的に管制室でモニターされている。が、英霊たちが私情で利用することも少なくないためいつもではない。特に今は、職員が皆忙しい時だ。最低限安全が保障されているものを見ているような暇はないのだろう。自身で装置を操作して、巌窟王はあの新宿の地下を映し出した。
「ここは……」
「さあマスター、レッスンの時間だ」
「いや、これ……、雀蜂の大群と戦う羽目になるやつでは……」
「それはそれ、これはこれだ。時間がない、早くしろ」
「わ、わっ!?」
掴まれたままだった手は繋ぎ直され、腰にも手を添えられる。会場に流れる曲に合わせて、巌窟王はステップを踏み始めた。
仕方なく、それに合わせてついていく。時々足がもつれたり、彼の足を踏んでしまったりとやはり格好はつかないけれど。くすりと笑って、落ち着け、と耳元で囁かれた。
「ゆっくりでいい、リズムに合わせろ。足は出しすぎずに、……そうだ。基本の動きさえできれば、後はリードに任せていればいい。いや、新宿ではお前がリードする側だったな?」
「あれはホームズの作戦で仕方なく!」
あの場で男装する必要が本当にあったのかどうか、未だに少し疑問ではあるけれど。まあ、女三人で乗り込むよりは多少自然に見えたのだろう。そうであったと思わなければやっていられない。
私の男装写真はどうやら、マシュによってしっかりバックアップを取られてしまっているらしい。何枚か現像したらしく、たまに思いがけない相手から話を振られることもある。特に身の危険を感じたのは清姫なのだが。
「……男の腕の中で、他人のことを考えるとは。随分余裕があるのだな、マスター?」
「そ、そういう言い方しないでください」
「事実だろう」
「う……」
「踊っているときは相手に集中しろ。それもマナーだぞ」
「……はい」
おとなしく、巌窟王のリードに合わせて踊ることに集中する。そうしていると、思った以上に距離が近いことを意識してしまったり、微かに息遣いまで聞こえてきたり、かえって落ち着かなくなってしまう。そんな私の様子を観察して楽しむだけの余裕があるらしい巌窟王は、また静かに笑っていた。ここには私たち以外いないのに、わざとらしく声を潜めるものだから余計に緊張してしまう。
「……おっと、お出ましか」
「エネミー出現……! 今日はゆっくりしようと思ってたのに……」
「クハハハ! なに、この程度なら片手間で相手できるだろう。さあ、指示を出せマスター!」
「ダンスはおしまいだ、さっさと片付けて私は休みを堪能する!」
***
「先輩、お疲れ様です。シミュレーションルームが使用中になっていたので驚きましたが、お休みの日でも演習を欠かさない姿勢、尊敬します」
「いや、これは……」
「今日のレッスンはここまでだ。気が向いたら呼ぶといい、いつでも相手をしてやる」
「あー……、しばらくは、いいかな……」
料理はエミヤやブーディカ、伝承出身の英霊についてはシェイクスピアやアンデルセン、音楽に関してはアマデウス。そんななんとなく、の認識の中に、ダンスは巌窟王、という認識を無理矢理ねじ込まれたことに気が付いたのは、ベッドに入ってからだった。
